祖父 三上隆彦は、70年代に毎夏、お弟子さん達と共にヨーロッパへスケッチ旅行に訪れていました。その際に書き溜めた水彩画の原画です。
私の祖父は、社交性が高く中々のハンサムさんで華やかな人でした。孫の私たちに会いに来るときは真っ赤なスポーツカーで会いに来てくれました。たまに絵の描き方を教わったり・・・
この絵について・・・
こちらは秋晴れの10月のローマ、カンピドーリョ広場から
赤い花でしょうか?真っ赤なアクサントでリズミカル
これらの水彩画には、油絵として描くための詳細なメモが書き込まれています。
画家が最初の段階で「ここは忘れちゃダメ!」と書留めたメモは、文字そのままの意味という以外にもアイデアの宝庫だったりします。
そして一番最初に、スケッチされたものは躍動感があります。
そんな初段階の勢いのある水彩画
額無し
サイズ H 210㎜ x W270mm
私の祖父は、社交性が高く中々のハンサムさんで華やかな人でした。孫の私たちに会いに来るときは真っ赤なスポーツカーで会いに来てくれました。たまに絵の描き方を教わったり・・・
この絵について・・・
こちらは秋晴れの10月のローマ、カンピドーリョ広場から
赤い花でしょうか?真っ赤なアクサントでリズミカル
これらの水彩画には、油絵として描くための詳細なメモが書き込まれています。
画家が最初の段階で「ここは忘れちゃダメ!」と書留めたメモは、文字そのままの意味という以外にもアイデアの宝庫だったりします。
そして一番最初に、スケッチされたものは躍動感があります。
そんな初段階の勢いのある水彩画
額無し
サイズ H 210㎜ x W270mm
三上 隆彦(みかみ たかひこ)
1916年2月16日生ー1988年9月27日没
日本の洋画家。
初代日輝会会長
経歴
東京都出身。
明治大学卒業。明大時代はフェンシングや馬術の選手として活躍。
1934年第10回白日会展に中学生で初入選する。
独立美術協会展に14年間出品(恩師:中村節也画伯)。
渡米しニューヨーク・ナショナル・アカデミー美術学校に学ぶ。
欧米で日本の美術文化の紹介に努め、美術教育に当たる。
馬の三上と言われる程、馬を描いて有名である。 棟方志功は渡米した時に三上隆彦にお世話になったと自伝小説に記している。
戦後は日本フェンシング協会理事長をつとめた。
1967年、日本へ帰国後1976年日輝会美術協会を創設、会長に就任して第1回日輝展を公募、総合美術展として上野の森美術館で旗揚げした。
1984年春・秋2回にわたり、紺綬褒章を受章。
1984年8月、オランダ共和国ロッテルダム市名誉章を授与される。
サンフランシスコ市、サクラメント市の名誉市民。
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